神崎DTP https://twitter.com/FMDM_Hiken
ブース概要
2019秋、「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」でゲムマデビュー予定。
「おのれ一人の納得を追い求められる何かを作りたい」
という思いから、ボードゲーム初心者なのにボードゲームを作り始め、
イベントにも一人出展で出来る事をやると決めたけど、
いろんな人からものすっごい助けてもらってやっと歩けてます。
滋賀、京都、大阪、そして滋賀の関係各所に出没するかもよ?
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- 「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」ありがとうございました!
- 昨日と今日に渡ってのゲームマーケット、ご参加の皆様、お疲れ様でした。 良いゲームとは巡り合えましたか? お察しかもしれませんが、神崎DTPは完全な神崎まつだい(=こうもりねこ)のぼっちサークルです。 ゲームづくりそのものに剣豪紹介などのテキストの用意からDTP作業に印刷入稿、WEBページ制作に丁合箱詰めから会場への搬入まで何から何まで一人でやっています。 だ・・・だって何から何まで一人でやったっていう実感欲しかったし? 会場へ運送会社さんに運び込んでもらうやつってなんだか説明がたくさん書いてあって面倒くさそうだったし? 東京までの交通費ってただでさえ高いし? ……などと言い訳を重ねて、「京都から夜行バスで早朝の東京駅に上陸!電車を乗り継いで東京テレポート駅までテレポート!その晩また夜行バスで京都に戻り翌朝滋賀県に帰る!」 という強行プランを立てたのですが、ご存知の通り当日の東京はレイン。 そしてビル風とかいう滋賀県では絶対に吹かない気持ち悪い風が吹きつけてくる。 僕の選んだ夜行バスだと真っ暗で屋根もなく石造りの不気味な建物(※高島屋です)の前に突然放り出されてよくわからない地図を頼りに1階がファミマのビルの2Fを目指して移動することになったんですが、まぁ、それらしき方向に行くといくつもある訳だ1階がファミマのビル。 目印のビル?暗いし初めて見るからわかんないしグーグルマップくんもなんだか混乱しているのか現在地がヒョコヒョコ動く。雨はまずます酷くなり、重いカートはただ歩くだけなら気にも留めないような段差や高低差で暴れだす。この有様はお前の人生そのものだ。誰もお前を愛さない。お前の半年ちょっとの歩みなど常人なら一週間の道行きにすぎぬわー、と言われているようなきもちになり、あしどりはおもくなった。 冷静に考えればこれは普通に初めての夜行バス宿泊で疲れているのに過ぎないけど、とにかくバスの待ち合せ所(超絶快適)についた時はしこうのうりょくがかんぜんになくなっており、「シャワー室の利用2時間待ち?じゃあ2時間寝るわ・・・起きれなかったらその時はその時だ」というダメ思考に陥っており、冷静になった時にはもう8時でした。 10時ちょっと前に会場に到着し、拍手が鳴り響く中、すいません遅くなりましたちょっと通してくださいを連呼しながら自分のスペースにたどり着き、会場直後からスペースに直行していただいた皆さんに過呼吸気味になりながら誤りつつ既に他のサークルさんが陣取ってて自由に動けない中で設営を進める(当然一人で!)という情けない事態に。 綺麗に刷ってもらった大判のポスター(防炎クロス仕様。水濡れにも強いぞ)を掲出できたのは12時前。それまでにも結構たくさんの方が来てくださった気がします。というか、むしろそれまでに来てくださった方のほうが多かった気もします。 1時ごろにはなんとか平静を取り戻してブース写真を撮ったりし始めたのですが、相当お見苦しかったかと思います。・・・大変申し訳ございません。 そんな状況でも、在庫は写真のラックにひっかけてる分だけになるまで「秘剣X」は手に取っていただけ、持ち込み分完売ではなかったものの帰りの荷物の重さが半分になるくらいにはなりました。 本当にありがとうございました。 他にも、なんかもう、無数に反省するポイントがあり、考えるだけで夜が明けそうなのでこの辺にしておきます。 「秘剣X」はまだ家に組み立ててない箱や丁合されてないカードがいくつかあるので、今後も関西地域のイベントには出展する予定です。今回ご縁がなかった方もまた、機会がありましたらどうぞ。 大阪ゲムマは・・・なんと! 初めての! 一般参加をしようと思います! してなかったのか。 してなかったのだ。 楽しそうだったのだ。
- 2019/11/25 0:00
- 神崎DTP
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- 【R49】「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介 第6回 伊庭八郎・河上彦斎
- ゲームマーケットに向けての「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介。 本日が最終回となります! 第6回は、伊庭八郎・河上彦斎の両名を紹介します。 伊庭 八郎 (1844〜1869 / 心形刀流) 剣道以前の剣術は、剣道の登場とともに消滅したわけではありません。 全部とは言わないまでも、数多くの古流剣術が伝承され、今でも学ぶ事ができます。 それでも、剣の達人がヒーローであり得た時間は、戊辰戦争と共に終わったのだと、私は思っています。 奥詰(将軍親衛隊)として徳川家茂の警護に当たっていた八郎ですが、家茂が亡くなってその政敵の一橋慶喜が将軍になると奥詰は遊撃隊に改組され、鳥羽伏見の戦いに投入されます。 鳥羽伏見の敗走後、箱根戦争に参戦した八郎は、左肘から先を切断する処置が必要な重傷を負います。この処置を「他人が自分の骨を削っているのに眠れる訳がない」と言って麻酔なしで受けた八郎は、その後、五稜郭の戦いで負傷した時も痛みを訴える事はありませんでした。 左手を欠損した後、横浜に英語塾生として潜伏した八郎は常に左手を服で隠していましたが、先輩塾生に目を付けられ、左手を使わないと出来ない仕事を言い付けられます。この時にそれとなく庇ってくれた塾長夫妻に八郎は深く感謝し、その写真を死ぬまで懐に入れていたそうです。 河上 彦斎 (1834〜1872 / 彦斎流居合術) 新撰組に殺された仲間の仇討ちの為に移動している時、洋モノの鞍をつけた馬に乗っていたというだけの理由でターゲットをたまたま出会った佐久間象山に変える。 飲み会中に離席して、みんなが飲みながら話していた悪徳役人の首を取ってくる。 人斬りを辞めるよう言ってきた勝海舟に反論して「私が人を斬るのは育ちすぎた作物を収穫するのと同じ」と言い切る(これは勝の作り話の可能性が高そうです)。 といった狂暴なエピソードを持つ剣豪です。 また、独自に居合術を創始したと言われています。この居合術は昭和までは伝わっていたようですが、伝書などは残されておらず、全容は不明です。 意外に思われるかもしれませんが、彦斎は岡田以蔵などのような暗殺者ではなく、肥後勤王党の中心的な「活動家」でした。 藩の方針転換のため獄中で明治維新を迎えた彦斎は、それでも尊皇攘夷を諦めませんでした。 ただ、同時に「草莽の士」がめいめいに暴れても真の攘夷は為せない事も理解していました。 そこで、若い藩士の教育に勤める傍ら、新政府の主流から外れた有力士族と連携し、大規模な政治活動を行おうとしたようです。 一方で新政府に迎合して変節したかつての同士に我慢がならずに面罵したり、自分を頼ってきた草莽の士を見捨てられず匿ったりもしていました。 新政府に危険人物とされた彦根関斎は、関与の度合いが低い暗殺事件の首謀者として処刑されます。 確かに剣豪であった彦斎ですが、剣豪として死ぬことはできなかったのです。 ●ゲーム中の性能などもっと詳しく知るには公式サイトへ http://kanzakidtp.work/hikenx/index.html ●ゲムマ当日の取り置き予約はこちらから Googleフォーム ●ゲムマ当日の会場に来れない方はこちら BOOTH通販
- 2019/11/22 18:44
- 神崎DTP
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- 【R49】「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介 第5回 堀部安兵衛・佐々木小次郎
- ゲームマーケットに向けての「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介も残すところあと2回! 第5回は、堀部安兵衛・佐々木小次郎の両名を紹介します。 堀部 安兵衛 (1670〜1703 / 堀内流) ちょうどお近くの映画館で「決算! 忠臣蔵」が公開されている頃でしょう。たしかに歴史的に見ても赤穂藩士たちはレッドオーシャン化した武家をコンプライアンスを理由にパージされ、ノマド化しながらも独自のアライアンスを維持し、仇討ちという困難なアジェンダに挑んだのですから、ビジネスに対してアッパーな意識を持っていても何もおかしくはありませんね。中でもこの、堀部安兵衛……元の名を中山安兵衛は、そもそも赤穂藩士にアサインした経過が独特でした。 中山安兵衛は浪人の身ながら堀内道場の筆頭師範代となり、大名屋敷の出張稽古などで安定した収入を得ていました。あるいはそのままフリーランス師範代として過ごしても、剣術史に名を残したかもしれません。 しかし、彼は同門の菅野氏が不利な条件での決闘を強いられていたのを見過ごす事ができず、これに加勢します。この「高田馬場の決闘」での義行が評判となり、安兵衛の名は益々高まります。 そんな安兵衛に目を付けたのが、決闘で息子を亡くして赤穂藩の家禄を相続できなくなっていた堀部金丸でした。金丸は安兵衛を婿養子に迎え入れようとしますが、中山の家名を残したかった安兵衛は一度これを断りますが、赤穂藩主・浅野長矩のとりなしで中山姓を名乗ったまま堀部家の家禄を相続する事が認められ、晴れて赤穂藩士となったのです。 なのに結局「堀部」を名乗ってしまう、そういう義理堅さが彼のアセットになっていたのでしょう。しかしそれはパラダイムシフトを迎えた元禄の世にはマッチしませんでした。 吉良邸への討ち入りは、無責任なオーディエンスに称賛され、あるいはフリーライドされるばかりで、結局その正統性は認められる事なく、安兵衛たちは刑場の露と消えるのです。 佐々木小次郎 (?〜1612 / 岩流) 情に棹させば流される。智に働けば角が立つ。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。とかくに人の世は住みにくい。意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい。 どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。意地を通せば窮屈だ。山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。 とかくに人の世は住みにくい。山路を登りながら、こう考えた。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。山路を登りながら、こう考えた。 ●ゲーム中の性能などもっと詳しく知るには公式サイトへ http://kanzakidtp.work/hikenx/index.html ●ゲムマ当日の取り置き予約はこちらから Googleフォーム ●ゲムマ当日の会場に来れない方はこちら BOOTH通販
- 2019/11/22 1:05
- 神崎DTP
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- 【R49】「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介 第4回 柳生十兵衛・金春七郎氏勝
- 今週土曜日のゲームマーケット本番に向けて「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪を連日連夜、2人づつ紹介させていただいています。 第4回は……柳生枠! 柳生十兵衛・金春七郎氏勝の両名を紹介します。 柳生 十兵衛 (1607〜1650 / 柳生新陰流) 「剣豪」という概念そのものを代表する有名人。徳川将軍家の鼎の1人と呼ばれた剣豪政治家・柳生宗矩の長男です。 十兵衛は徳川家光の小姓となり、7年に渡って仕えたのですが、ある時、素行不良を咎められて追い出されます。家光の十兵衛に対する怒りはわりとすぐに解けたようなのですが、宗矩は十兵衛の復帰を許さず。 十兵衛は生まれ故郷とは言っても10歳の頃までいただけの大和国柳生庄に、約12年の間、蟄居する事になります。 ……少なくとも、十兵衛自身の著作にはそう書いてあります。 そう書いてあるのですが、死後100年もしないうちに「実はこの時期、十兵衛殿は諸国を廻りながら武者修行や山賊征伐をしてたのだ」という逸話が大量発生しています。 とはいえ、十兵衛は散逸しかけていた柳生新陰流草創期の逸話をまとめ、先祖・流祖の弟子筋を尋ね歩いた「研究者」としての実績があるし、自著の記述をまったく信じないというのはあまりにかわいそうな気も……。 12年の研鑽の末にようやく再出仕を認められ、家督を相続した十兵衛ですが、その僅か4年後に他界。死因は不明でした。 金春七郎氏勝 (1575〜1610 / 柳生新陰流) 十兵衛の父・柳生宗矩には、有能な政治家・新陰流の剣聖・そして重度の能オタクという3つの側面があったのですが、そもそも柳生新陰流は能楽と関わりが深いのです。 金春七郎氏勝は、大和猿楽四座の筆頭(当時)・金春座の63世宗家。いわゆる「家元」です。 一方で氏勝は、十兵衛あたりの世代が中心になる事が多い剣豪小説の世界ではレジェンド枠となる、柳生石舟斎や宝蔵院胤栄といった人物に直接指導を受け、免許皆伝を得た武芸の達人でもありました。 特に石舟斎との交流は深く、互いに剣術と能楽の奥義を交換伝授したといわれています。 本業の能楽でも金春座は豊臣政権から力強い庇護を受けて隆盛したのですが、氏勝は弱冠35歳で他界。父の八郎安照は独自の能楽論を書にまとめるなど功績のある人物なのですが、豊臣政権に接近しすぎたのが裏目に出てか、江戸幕府成立以降の金春座は大きく存在感を薄める事となりました。 その為か、氏勝が江戸〜明治期の創作のネタになる事はほとんどないようです。 昭和になってようやく「花の慶次」の原作者・隆慶一郎先生に見初められ、「夜叉神の翁」で隆慶一郎バース屈指の強さ描写のある主人公として登場するのですが、残念ながら隆先生の急逝により未完に終わっています。 ●ゲーム中の性能などもっと詳しく知るには公式サイトへ http://kanzakidtp.work/hikenx/index.html ●ゲムマ当日の取り置き予約はこちらから Googleフォーム ●ゲムマ当日の会場に来れない方はこちら BOOTH通販
- 2019/11/20 23:44
- 神崎DTP
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- 【R49】「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介 第3回 伊東一刀斎・高柳又四郎
- 第3回となりました、「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介。 土曜日はゲームマーケット本番に向けて、ゲーム中に貴方の分身となる剣豪たち2人づつ紹介しています。本日は、伊東一刀斎・高柳又四郎の両名です。 伊東 一刀斎 (1560?〜1653? / 一刀流) 時々、単に「二刀流ではない」という意味で「一刀流」と仰る方がいますが、「一刀流」といえば普通、剣術の世界では「伊東一刀斎に連なる道統の流派」の事を指します。 一刀流とその派生の流派は、江戸時代を通して隆盛し、今日の剣道の成立にも大きな影響を与えたと考えられています。 そんな一刀流を興した伊東一刀斎ですが、その生涯は謎に包まれています。師の鐘巻自斎も「一刀斎」を名乗っていた事もあり、出身地と死没地、推定生年と推定没年が3つづつくらいあるという有り様。 一刀流の道統を継ぐ流派が広い地域に残されていた事から、戦国時代に各地を廻って剣術の修行と指導を行っていたのは間違いないようです。 しかし不思議なことに、どんな逸話の派生でも「一刀斎が負ける」どころか「誰かが一刀斎と良い勝負をした」というエピソードすらなく、一刀斎は誰に対してもひたすら圧勝しているのです。 まさに廻国三十三戦、不敗の女! ……なんで本作では女の人なんでしょうか。 ……さぁ……なんでですかね……? 高柳 又四郎 (1776?〜1808? / 一刀流中西派) 高柳又四郎は江戸時代後期に隆盛した「一刀流中西道場」の高弟で「中西道場の三羽烏」と呼ばれた3人のうち1人です。 他の2人は練習の方針の違いからか独立して流派を興しているのですが、又四郎にはそうした話はありません。 彼が竹刀で撃ち合い試合をすると、相手は又四郎の竹刀にすら触れる事が出来ず、又四郎もまたただ一閃で勝負を決めるため、決着のその瞬間まで撃ち合う音が一切しませんでした。 これは余人から「音無しの勝負」だ「音無しの剣」だと呼ばれ大変評判になりました。 そんな又四郎ですが、wikiに書かれている生年1808年を参照すると、生まれる前に師範代になっていた計算になる。 生年の根拠と思われる、少年期のエピソードも、父親の役職が記録と合致せず、なんとも怪しい……。 あるいは、1808年は本来「没年」だったのではないでしょうか? もしそうだとすると、30歳前後で亡くなった計算になってしまうのですが……。 ●ゲーム中の性能などもっと詳しく知るには公式サイトへ http://kanzakidtp.work/hikenx/index.html ●ゲムマ当日の取り置き予約はこちらから Googleフォーム ●ゲムマ当日の会場に来れない方はこちら BOOTH通販
- 2019/11/19 22:50
- 神崎DTP
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