神崎DTP

2019秋、「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」でゲムマデビュー予定。
「おのれ一人の納得を追い求められる何かを作りたい」
という思いから、ボードゲーム初心者なのにボードゲームを作り始め、
イベントにも一人出展で出来る事をやると決めたけど、
いろんな人からものすっごい助けてもらってやっと歩けてます。
滋賀、京都、大阪、そして滋賀の関係各所に出没するかもよ?

【R49】「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介 第6回 伊庭八郎・河上彦斎
2019/11/22 18:44
ブログ

ゲームマーケットに向けての「うろおぼえ剣豪道場 秘剣X」登場剣豪紹介。
本日が最終回となります!
第6回は、伊庭八郎・河上彦斎の両名を紹介します。

伊庭八郎
伊庭 八郎
(1844〜1869 / 心形刀流)

剣道以前の剣術は、剣道の登場とともに消滅したわけではありません。
全部とは言わないまでも、数多くの古流剣術が伝承され、今でも学ぶ事ができます。
それでも、剣の達人がヒーローであり得た時間は、戊辰戦争と共に終わったのだと、私は思っています。
奥詰(将軍親衛隊)として徳川家茂の警護に当たっていた八郎ですが、家茂が亡くなってその政敵の一橋慶喜が将軍になると奥詰は遊撃隊に改組され、鳥羽伏見の戦いに投入されます。
鳥羽伏見の敗走後、箱根戦争に参戦した八郎は、左肘から先を切断する処置が必要な重傷を負います。この処置を「他人が自分の骨を削っているのに眠れる訳がない」と言って麻酔なしで受けた八郎は、その後、五稜郭の戦いで負傷した時も痛みを訴える事はありませんでした。
左手を欠損した後、横浜に英語塾生として潜伏した八郎は常に左手を服で隠していましたが、先輩塾生に目を付けられ、左手を使わないと出来ない仕事を言い付けられます。この時にそれとなく庇ってくれた塾長夫妻に八郎は深く感謝し、その写真を死ぬまで懐に入れていたそうです。


河上彦斎
河上 彦斎
(1834〜1872 / 彦斎流居合術)

新撰組に殺された仲間の仇討ちの為に移動している時、洋モノの鞍をつけた馬に乗っていたというだけの理由でターゲットをたまたま出会った佐久間象山に変える。
飲み会中に離席して、みんなが飲みながら話していた悪徳役人の首を取ってくる。
人斬りを辞めるよう言ってきた勝海舟に反論して「私が人を斬るのは育ちすぎた作物を収穫するのと同じ」と言い切る(これは勝の作り話の可能性が高そうです)。
といった狂暴なエピソードを持つ剣豪です。
また、独自に居合術を創始したと言われています。この居合術は昭和までは伝わっていたようですが、伝書などは残されておらず、全容は不明です。
意外に思われるかもしれませんが、彦斎は岡田以蔵などのような暗殺者ではなく、肥後勤王党の中心的な「活動家」でした。
藩の方針転換のため獄中で明治維新を迎えた彦斎は、それでも尊皇攘夷を諦めませんでした。
ただ、同時に「草莽の士」がめいめいに暴れても真の攘夷は為せない事も理解していました。
そこで、若い藩士の教育に勤める傍ら、新政府の主流から外れた有力士族と連携し、大規模な政治活動を行おうとしたようです。
一方で新政府に迎合して変節したかつての同士に我慢がならずに面罵したり、自分を頼ってきた草莽の士を見捨てられず匿ったりもしていました。
新政府に危険人物とされた彦根関斎は、関与の度合いが低い暗殺事件の首謀者として処刑されます。
確かに剣豪であった彦斎ですが、剣豪として死ぬことはできなかったのです。


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