Joyple Games

星空の泉

¥200

平行宇宙に13星座が生み出されるまでの物語

ゲーム概要

  • 星を集めて星座を作る
  • 紙ペンゲーム風味のセットコレクション
  • 仕込みの大切さを痛感するゲーム
プレイ人数 2〜4人 プレイ時間10〜30分
対象年齢10歳〜 価格200円
発売時期2022秋 予約
ゲームデザインdeztec イラスト・DTPイラストAC

ゲーム詳細

前回に続き今回も作った、コンポーネントてんこもりのゲームです。

各平行宇宙を担当する神のしもべであるプレイヤーたちが、自分の手番に星をひとつ夜空に提供していきます。

すると、全ての平行宇宙で、星座が星1つ分、完成していきます。

早く星座を完成させ、神様のご褒美である得点札を獲得しましょう。

詳細は、説明書をご覧ください。

以下は余談です。

このゲームでは、カードの山札を、シャッフルするのではなく、各プレイヤーが意図して1枚ずつ積んでいきます。そして、第2ラウンドでは、山札がそっくり裏返ります。一番下にあったカードがトップになり、つい先ほどまでトップにあったカードが、ボトムに消えてしまう……。

とはいえ、作者としては、そのへんをガッツリ考えてほしいわけではなく、むしろ何も考えずにプレイしていただいて、「あっ」と思ってほしいのです。

ボードゲームって、考えようとすれば、いろいろ考えることはできてしまうものです。ほとんどまるっきり運ゲーですら、考えてしまうわけで、本作品のように「70%アブストラクト」みたいな作品なら、なおさらでしょう。でも、作者がそれを望んでいるかというと、実はそうではなかったりするわけです。

私は「アブストラクトを直感でプレイする」のが好きなんですね。無意識任せでサクサク遊んで、痛撃を食らって「うわわわわ!」となる、あの感覚が好きなのです。「真剣に考える方が、もっと面白い」と、よくいわれるのですが、私は逆。

かつて父と10年ほど将棋をやって、結局、一度も勝てず、惜しい感じにすらならず。考えることの虚しさを痛感しました。もう二度と父と将棋は指さぬと心に決め、高校卒業以降の四半世紀、実際に一度も父とは将棋を指していません。私が「考えたくない」のは、そのトラウマです、と説明すると「なるほど」という顔をしてもらえるから、毎回、このエピソードを話すのですが、でも、関係ないんじゃないかな。私は元々、真剣に考え抜くことを、楽しいと思えないタチなのだと思う。

私が好きなのは、「考えようとすれば、考える糸口が用意されている」なのです。マジのガチで運だけなので、考えるのは無意味、というゲームで妄想理論を打ち立てるのは、あまり趣味じゃない。無心で何も考えずに遊ぶのも好きだから、運ゲーは大好きですが、運ゲーで無理やり頭を使うのは趣味から外れるということです。

だから、自分好みのゲームを自作すると、毎回、アブストラクト風味になっていくんですね。バッグドローの運ゲーであるはずの『モフモフ工房』も、途中で袋の中を確認してよいことにしていて、それはなんでかといったら、自分がお望みの色の球をひける確率、それを考慮に入れたカード入手、みたいなことを考える手がかりを与えたいからです。

実際にそういうことを考えるのかといったら、あまり考えない。むしろ無心に遊ぶ。でも、「理詰めで考えようとすれば、考えることもできますよ」となっている。だから、ゲーム中に1回か2回は、理詰めで手を考えたりするわけです。それくらいが、ちょうどいい。

『星空の泉』において得点札の山札積みは勝敗に直結する重要場面です。が、そこで悩んでほしいわけじゃない。ふつうの作者であれば、そう思うなら、「考えても仕方ないようにする」わけですが、私はそうしたくなかった。ゲームが始まってから、「しまった、もっとよく考えて山札を積めばよかった」と、思ってほしいんですね。最初から「よくシャッフルして山札を作ります」では、そう思う余地がないじゃありませんか。

結局、ちょっと反省したって、もう1回ゲームをしてみると、大して考えることもできないまま、山札積みは終ってしまう。それでも運次第で勝ったり負けたり。毎回「もっとああすれば」「こうすれば」と、思うけど、思うだけ。反省は次に生かされない。

熱心なゲーマーの方には、なかなか理解されないのですが、ライトゲーマーって、私みたいな楽しみ方をしている方が、意外と多いんじゃないのかな、と思うわけです。運要素のないゲームとしてのアブストラクトは敬遠されがちですが、お互いがもっと気楽に、よく考えずに遊んだら、じつはけっこう多くの人にとって、本当は楽しいのではないでしょうか。

とはいえ、いくら作者が説明書でそう訴えても、完全なアブストラクトだと、お決まりの「アブストラクトの遊び方」をされてしまう。別に完全なアブストラクトへのこだわりは、私にもないので、それでちょっと、明白な運要素を残しているのが『星空の泉』になります。

アブストラクト風味のゲームを、お気楽に、よく考えずに、遊んでみてください。騙されたと思って、1回だけでも……。

こういうのって、慣れとか、「かくあるべし」という思い込みとかの影響も強いから、やってみても結局、「つまんねーよ」かもしれないのですが、それはそれで仕方ないのですが、現に私のように、そういう遊び方を面白いと感じているボードゲーマーも実在することは、わかっていただけたら嬉しいです。

余談その2、いきます。

『星空の泉』は物理的に重たいです。重たい理由は、金属製のメダルを88枚使っているからです。

なぜ88枚かというと、現代の星座は88個だからです。元々は、88星座を使ったゲームとして製作を始めたのでした。が、収拾がつかなくなり、断念しました。

というのが、ひとつの説明なのですが、別の説明もあります。

以前から金属製のコインを使ったゲームを作ってみたくて、とりあえず一番安い中古のスロットコインを買ってみたのです。そうしたら、「88」と刻印されていたのですね。

待てよ、こんなの、ゲームをどう作ったらいいんだ? 1単位が88とか、得点計算が面倒くさくなり過ぎる……。

そんなわけで、コインは部屋の片隅で埃をかぶっていたのですが、ある時、星座について調べていたら88という数字に出会ったのです。「88……どこかで見た数字だな。あっ、あのスロットコインじゃないか!」

というわけで、『星空の泉』には88枚のコインが使われているのです。

余談その3、いきます。

『星空の泉』は「88」と書かれたコイン88枚をプレイヤー同士で奪い合うゲームなので、プレイ人数が増えるほど、プレイ時間が短くなります。

私の作るゲームは、プレイ人数次第でプレイ感が相当に変化するものが多いです。通常、そういうのはNG判定で、「箱に書いた推奨人数のどれでも同じように遊べるようにすべきだ」と、テストプレイ会とかだと、毎回アドバイスされます。私はそれを無視し続けているのですが、それは、私個人にとっては、「プレイ人数によって遊び方が変わるのは面白い」からです。

この作品、2人プレイなら「さそり座」を狙う意味もあるのですが、7人プレイでは、ほぼ死に手です。完成する前にゲームが終る可能性が高い。「いて座」も、まあ無理ですね。

基本、すぐに完成する星座をどんどん完成させていく方が強いのです。が、とくに2人プレイの場合は、話が全然違ってきます。重量級の星座にもチャレンジしないと厳しい。「速攻で全完成させて逃げ切り」という戦術が成功すればいいのですが、星座カードの片方は相手が選ぶので、重複ゼロの星座カードがきたら、逃げ切りは無理です。

こういう変化がある方が、私は好きなのです。ベストのプレイ体験が4人プレイなら、4人プレイ時の面白さを、他のプレイ人数でも体験できるようにしましょう、というのが教科書的なボドゲ製作の考え方なのだと理解しています。それが「間違っている」とは思いません。みなさん口を揃えて同じアドバイスをされるので、疑うまでもなく正しい、というくらいのことなのだと思います。

単純な話、重すぎるさそり座、いて座、しし座あたりを軽くして、軽すぎるうお座、かに座あたりをもう少し重くすれば、バランスは取れます。取れますが、それによって「角が取れて丸くなった姿」が、元の状態より素敵だと、「私には思えなかった」のです。実際の星の明るさに基づいて設定したんだから、文句いうな、というのは建前で、別にゲームなんだから、どう調整したっていいと思う。根本、私にとって面白くならないことはしたくないから、調整していないわけです。

経験上、みなさんのアドバイスを無視した作品は、あまり評判がよろしくない。『「ナンプレ」を解かない』のように、好評をひとつも聞かないというレベルの結果になったりもします。それは当然ですね、テストプレイ会の参加者が、みんな偏っているなんてことがあるわけがない。テストで不評な作品は、ゲムマで販売したって不評なのです。

でも「私が作るゲームは、私にとって面白いゲームであるべきだ」と思うんですね。みんなが「こうすべき」という内容の大半は、私も同感です。でも時々、「私は違うな」ということもある。それが、「自分で作る意味」ではないか、と思う。

私は「自分の作るゲームが世界一面白い」とは、思ってません。だからこそ、「自分が作る意味、それを世に問う意味」は考えます。「考えない方がいいな」と思っても、結局、考えてしまう。他と比較可能な、「みんな」と競える基準で、作品を捉えたら、幸せにはなれそうにない。「自分は、みんなと意見が違う」箇所は、意識して残す方がいい。今のところ、私はそう結論しています。

『「ナンプレ」を解かない』の場合、根本、不評しかなかった。さすがにそういうのを世に問う気は、もうありません。自分だけが面白いと思う作品は、自宅に1個あれば十分だと、わかりました。他方、「面白いけど、欠点もある」場合は、その美点・欠点のバランスを考えた上で、世に出すかどうかの判断をしたい。

とまあそんなわけで、『星空の泉』は、とくに人数が多い場合に「なんじゃこりゃー!」となりやすい。それを「面白い」と思う私が少数派なのは、わかってます。わかってますが、現在の私の基準で「世に出してもよい」という判断になりました。

ひとつの作品を、様々なプレイ人数で遊んで、そのプレイ感の違いを楽しむ……なんてのは、ほとんど作者自身にしか体験できないことであって、たいていの購入者は、一定範囲内の人数でしか遊ばないと思う。また、面白くてもつまらなくてもリプレイするなんてのは稀で、最初のプレイで「ハズレ」を引いたら、「ダメなゲームだ」ということになって、それっきりに違いありません。「もう1回、遊んでみようよ、今度は面白いかもよ」なんてことには、ならない。

ある種のよくあるプレイが地雷だとして、それを「体験して自分で気付いてね」なんてのは、ゲームが飽和した時代のゲームのあり方ではなく、地雷は自動的に避けて、「どうプレイしても面白いと思える範囲内に収まる」ようにガイドを用意するのが現代のゲームでしょう。それは重々わかっているのですが……。

お楽しみいただければ幸いです。「クソゲー許せん」になったら、ごめんなさい。

余談、その4。

私の作るゲームは、手番不平等なものが多いです。『星空の泉』の場合、スタートプレイヤーが、損です。2番手か、最終手番のプレイヤーが有利、と考えています。

これも、テストプレイの際に同意されることのほとんどない主張になりますが、「ゲームは不平等な方がいい」と思うのです。私はファミコンのアクションゲームが軒並み苦手で、好きじゃなかったのですが、『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』は好きでした。私は「れいほう」を使い、弟は他の高校を使う、というハンデ戦が可能だったからです。

家族でプレイするにせよ、ゲーム会で遊ぶにせよ、同程度に得意な人が集まるわけじゃないと思うのです。むしろ平等なゲームは不公平じゃないですか? 手番順に有利不利があるのは、あからさまなハンデより、いいと思います。まあ、重ゲーで、何時間もやって、結局、最初の手番順が重要だった……では嫌すぎるかもしれませんが、20分程度のゲームなら、手番順を変えて何度かやってみたらいいと思うのです。

遊びたいゲームは無限にあるから、「そんな暇はない」のは、私もよくわかります。わかりますが、ここは押し通しました。絶対に最終手番プレイヤーが勝つ、とかではなくて、実のところ、テストプレイでは「強い人は手番に関係なく勝つ」「有利不利があるにせよ、個人の実力差を無に帰すものではない」という感じだったから、というのもひとつの理由です。

その上で、なぜスタートプレイヤーに厳しくしたのかというと、スタートプレイヤーが初手で1等星を使った場合に、あまりにも有利過ぎる簡単な手があったからです。これだけは封じることにしました。別の封じ方もありましたが、所々勘案して、現在のようにしました。

ゲーム体験

スタンダード, 3桁ゲーム, ボードゲーム, アブストラクト, セットコレクション,